2018年10月1日 

対談企画③ マルクス・レーム × 伊藤智也

「これが、オレの生きる道」

笑顔で握手をするマルクス・レーム(左)と伊藤智也 (右)

2018年7月8日。ドイツのマルクス・レーム(T64)が、男子走り幅跳びに出場し8m47の記録で世界新を樹立した(※)。場所は、群馬県前橋市の敷島公園陸上競技場。ジャパンパラ陸上競技大会。2015年ドーハでの世界選手権で自身がマークした8m40を、3年ぶりに更新したのだ。集まった観客はもちろん、日本の選手も大会運営のスタッフも世界記録の跳躍を目の当たりにして、大歓声と拍手を送った。

一方、同じジャパンパラ競技大会の200mで優勝したのは伊藤智也(T52)。2008年北京パラリンピックで400m、800mで金メダル、12年のロンドンパラリンピックでは200m、400m、800mで3個の銀メダルを獲得する活躍を見せたが、障害の原因である病気(多発性硬化症)の進行によりロンドン大会を最後に引退していた。今年55歳。再び陸上競技場のトラックに戻ってきたのだった。

年齢やキャリアは異なるが、レームも伊藤もともにパラリンピックの金メダリストであり、現役選手として活動を続けている。パラアスリートの最先端を歩む二人の視線の先にあるものとは――。

※その後、8月25日のヨーロッパ選手権で、8m48で記録を更新。

パラアスリートとして生きる

——伊藤選手は20年前、多発性硬化症を発症後、パラスポーツとしては、大分国際車いすマラソンからスタートされました。その後トラック競技を始めて200m、400m、800mのメダルを獲得されています。トラック種目に変更した理由はなんですか。

伊藤智也(以下、伊藤)/初出場したアテネパラリンピックの1500mで転倒して、その時に右肩腱盤断裂してから、長い距離を走れなくなったんです。トラック種目を始めたら俄然面白いと思うようになりましたね。駆け引きの時間が短く、濃密な競走ができる。

——ロンドン大会で引退、今年本格的に選手として復帰されました。どんな心境の変化があったのですか。

伊藤/埼玉県にある工業デザイン工房「RDS」が「チーム伊藤」を結成し、体やフォームにぴったり合った特製の専用車いすを開発するので一緒にもう一度競技をしませんか、というオファーをいただいたことがいちばんの理由ですね。RDSはもともとサーキットで行われるモータースポーツでの開発を担っていました。そのモータースポーツとしてのレース環境を、パラスポーツで実現しようという。前代未聞の開発環境です。新しい第一歩を築けるという意義を感じられました。もうフィジカルは衰退の一途をたどっていますから(笑)、競技に関わる全ての環境、経済的な支援も含め、総合力で勝負するしかないと思っています。

——バイエルご所属もその一つなのですね。

伊藤/資金は競技を続ける大事な基盤です。競技に専念できる環境を作ってくれた。とても感謝しています。

——レーム選手は右足のひざ下義足の選手です。2015年に樹立された走り幅跳び8m40の記録は、もし、12年のロンドンオリンピックに出場していれば金メダルを獲得できたというものでした(注:ロンドン五輪の走り幅跳びで金メダルを獲得したグレッグ・ラザフォード/イギリスの記録は8m31)。2016年にリオデジャネイロオリンピックへの出場を希望していたけれども、義足の優位性がないことを証明しなくてはならず、実現しませんでした。

マルクス・レーム(以下、レーム)/今でも国際陸上競技連盟とは、ずっと話し合いを続けています。リオ五輪までも、その後もいろんな調査や協議を進めてきました。ただ、強調したいのは、私はパラリンピアンとして誇りを持っているということ。オリンピアンとパラリンピアンがどういう形で競い合えるかということを、パラアスリートの立場で、その可能性を追求したいと常に思っています。

用具のテクノロジーとの適合

——お二人は、義足とレーサー(陸上競技用車いす)という競技用の用具を使用しています。その用具に体を適応させるためにいろんな努力をされていると思いますが、使い方を含めて、どんなことに力を入れてきたのか、教えてくだい。

伊藤/レーサーの進化は、人間の体をはるかに凌ぐ早さで進むんです。テクノロジーとしてマシンに注がれる情報量は日々進化しています。昨日まで鉄のマシンだったものがアルミになり、それがカーボンファイバーに進化する。それだけのテクノロジーの進化に人間がついていけるはずがない。しかし、真摯にチャレンジする自分をしっかり持って競技に臨めば、少しずつでもマシンの進化についていけるのではないか。ひいては、それが人間の進化につながっていくと思うし、タイムにつながっていく。その探求は常に怠ってはいけないと思っています。

レーム/おっしゃる通りです。私たちにとってテクノロジーはとても重要です。義足を装着せず1本足で8m超の記録を出すことはできなかったはずですから。同時に私たち障がい者にとっては、義足は体の一部なんです。レーサーや義足だけに注目されがちですが、アスリートがそれを自分の体として受け入れることができて、初めてそれを使いこなすことができる。義足をうまく使いこなすために、私が特に力を入れていることは、義足でバランスを取ること、あるいは義足から受ける感触を自分自身がしっかり受け止められること。トレーニングとしてジャンプを重視しています。それは義足がどういうリズムを持っているかを体で実際に感じるためです。道具は、私たち人間に合わせてくれるわけではありません。自分を道具に適合させていくことが非常に重要です。伊藤さんがどのようなトレーニングをされているか、すごく興味があります。とある1日について教えてもらえませんか。

伊藤/朝スタジアムに行きます。メンタルが非常に低い時には孫を呼びます。おじいちゃん、頑張れの一言で多分2秒タイムが上がります。それでトレーニングに入ります。

レーム/ははは。モチベーションとして素晴らしいですね!

伊藤/僕からもいいですか。世界記録を出して圧倒的なトップに立っていますね。今、練習やレースでは攻めているのでしょうか、それとも守りに入っているのでしょうか。

レーム/守りに入ることは絶対にしません。常に限界を追いかけています。私は他の人に自分の目標、ゴールを設定されるのは絶対に嫌なんです。何ができるか、できないかを決める、見極めるのは自分自身。陸上を始めてから、パラアスリートに8mを超える跳躍は実現しないとずっと言われていましたが、私は証明しました。

パラリンピック金メダルの意義

——伊藤さんは北京の2個の金メダリスト、レーム選手はロンドン、リオで2連覇。パラリンピックの金メダルの意義をどう考えているのでしょうか。

伊藤/個人的にはただただ嬉しいだけなんですよ。自分を支えてくれた人への恩返しができたということもあります。むしろ、金メダルを取るまでよりも、取った後にパラアスリートとして責任を果たしていかなければいけないと思っています。その一つは、負けるまでやめるわけにはいかない。常に世界のトップであり続けて自信を持って走ったけど負けたという姿を、世間に見せることで初めて責任を果たせると思っていました。その意味では勝つための努力よりも負けるまで全力を尽くさなくてはいけない努力が重要で、自分の競技人生であれほど辛いものはなかった。

レーム/そうすると、ロンドンの時には、ある意味、それが達成できたということになるのですか。

伊藤/はい。全力で走って負けましたから、金メダリストとして。

レーム/金メダリストとしてベストを尽くすことはとても重要です。私自身、毎日トレーニングでベストを尽くしています。パラリンピックは4年に1回しかありませんし、私たちパラアスリートにとっては最大のイベントです。最初に(ロンドンで)金メダルを取った時のことはとてもよく覚えていて、今話をしても涙ぐんでしまう。表彰台の一番高いところに上がって、国旗が掲揚され国歌が流れる。でも、これは私一人で成し遂げられたものではない。家族を始めいろんな人に連れてきてもらったようなものなのです。私の人生で、あれほど感動したことは初めてだったと言っても過言ではありません。でも、その後はいろんなプレッシャーがありました。周りの期待も非常に大きかったですし、4年後のリオ大会の時には周りから君はもっと跳べるだろうと、勝てて当たり前だと言われていました。スタジアムではレフェリーにも注目されている、絶対に勝たなくてはいけないと感じていました。ところが前半3回が失敗ジャンプに終わった。3回目の試技で成績は3位以下でした。そんなポジションになったことがない。自分に腹が立っていた。その時に気付いたのは、自分がモチベーションにしていることがちょっと違ってきてしまっていた。最初の3回の試技では、うまく跳ばなくてはいけない、うまく見せなくてはいけない。でも、後半が始まる前のインターバルでそれではいけないと考えを変えて跳んだら、やっとうまくいきました。伊藤さんがおっしゃったように、社会的な責任というものも背負わなくてはいけないということは感じています。

パラアスリートとしての社会的責任

伊藤/社会的な責任の変化としては、どんなことを感じていますか。

レーム/実は、私は義足などの作製を行う義肢装具士でもあるのですが、私が担当している10歳の義足の男の子がいます。彼はリオパラリンピックの時に「ブラジルには行けないけど、テレビの前で応援しています」と言ってくれて、帰国したら、金メダルの絵を描いてくれました。彼のお母さんが、私が彼の前向きに生きるモチベーションになっていると言っているけれど、実は反対で、彼こそが、私にとって大きなモチベーションになっているんですよ。

伊藤/レーム選手が義肢装具士としてその子の義足製作を担当されているのですね。

レーム/そうです。この少年は7歳の時に交通事故で両足を切断しました。片足はひざ上、片足はひざ下。今は学校にも義足で通学していて、レバクーゼン(レームが普段練習しているスタジアムもある、バイエルの拠点)で、水泳の選手として競技に取り組んでいます。彼が成長する姿を見られるのは私の楽しみにもなっているんですよ。ドイツにはカーニバルがあってハロウィーンのように衣装を身につけるんですが、彼は海賊になりたいと言って、木の義足をつけてパレードに参加しました。

伊藤/キャプテンクックみたいな。

レーム/そうです。彼のために衣装も作りましたが、木製の足を作ってあげて海賊に変身させました。そのカーニバルでは主役級の人気者でした。

伊藤/それは素晴らしい! もう、レーム選手の優しさが伝わってきますね。

レーム/ありがとうございます。

2020TOKYO、そしてその先へ

——最後に2020東京パラリンピックに向けて取り組んでいること、目標を教えてください

伊藤/第一に考えるのは老化現象(笑)。とにかくガムシャラに練習を続けて行きます。「ミスターチャレンジャー」と呼ばれていますからね。まずは出場できるように。出場が決まったら、いいレースができるように。とにかく全てに頑張り切りたいと思っています。

レーム/私もまずは出場を目指します。2年後にも大好きな陸上を続けられているように。もちろん、最終的なゴールとしては連覇したい。金メダルをとって表彰台の一番高いところに上がること。そして、新記録も樹立したい。今、すごく調子がいいので、このままいい形でトレーニングを継続させて2020東京パラリンピックを目指したい。もう一つ、別の目標としては、やはり世界中の人にパラアスリートがこれだけのことができるということを見せたいと思っています。オリンピックの選手と変わらないパフォーマンスを発揮できるということ、もしくはそれ以上を出せるということ。それを見せたい。

——東京でも、チャンスがあれば、オリンピック出場を目指しますか。

レーム/オリンピック出場はとてもチャレンジングなことだと思っています。重要なことは、私はパラリンピアンであることにとても誇りを持っていること。私は今も、そしてこれからもパラアスリートであることに変わりはありません。オリンピック出場を目指し始めた時に、いろんな噂が流れました。マルクスはもう、パラリンピックには興味がなくオリンピックだけに出場したいのではないかと。それは完全に間違いです。私がオリンピックに出場したいという背景には、パラアスリートがここまでできるということを見せたいから、というのが一番の理由なのです。オリンピックはやっぱり素晴らしいスポーツの祭典です。感動的なストーリーがたくさんある。世界のトップレベルの競技が見られる。でも、パラリンピック、パラアスリートも同じです。私たちパラアスリートこそ、それを体現しているのです。

伊藤/それは全く同感ですね。

レーム/将来的なビジョンとして、オリンピックとパラリンピックはもっと近づいたらいい、と思っています。今私が夢として描いているのは、オリンピックが終了する日にリレーをするということ。4x100mで2人はオリンピアン、2人はパラリンピアンのミックスリレーにするんです。これをオリンピックとパラリンピックをつなぐ新種目にできないか。そして、そのバトンを、オリンピックの聖火とともにパラリンピックに繋いで、その火をパラリンピック選手が聖火台に灯してパラリンピックが開幕するということができたら、と強く思っています。

伊藤/つまり、オリンピックの閉会式と、パラリンピックの開会式をつなぐということですか。それが実現したら、すごいなあ。

レーム/そうです。私は、オリンピックとパラリンピックを完全に一つにするということはありえないと思っています。オリンピックとパラリンピックでは価値観や意義が異なります。パラリンピックとして存続することはとても重要なのです。統合することがゴールではありません。ただ、オリンピアンもパラリンピアンも同じ「スポーツを愛する者」ということでは、そこは全く同一だと思っています。だからこそ、オリンピックからパラリンピックにつなぐ、開催時期を含めた距離をもっと近くすることができればいいな、と思っているんです。もし実現したら、その時にはおそらくスタジアムの観客の一人として自分の夢がかなったと、涙を流すことでしょう。

伊藤/僕もその時には一緒に泣きたいですね。その夢に一番近いのがレーム選手なんです。オリンピックとパラリンピックの架け橋になれる唯一の選手ですよ。その彼が、パラリンピアンであることを誇りに思う、すべてのパラリンピアンを誇りに思いリスペクトすると言っている。そういうレーム選手を、僕は心から誇りに思います。同じ舞台で戦う人間として、今日また心新たに、これからの競技に邁進できると感じました。ありがとうございます。

レーム/こちらこそ、ありがとうございます。二人で2020東京パラリンピックのトラックで最高のパフォーマンスを世界に見せつけましょう!
<伊藤智也(いとう・ともや)> =写真右
1963年、三重県生まれ。バイエル所属。T52クラス。1998年、多発性硬化症を発症し車いす生活となる。2001年に大分国際車椅子マラソンでデビュー、03年にパラ陸上の世界選手権に初出場、400m、1500m、車いすマラソンで金メダル、800mで銀メダル。パラリンピックはアテネに初出場し、北京では400m、800mで金メダル、200mで銅メダル。ロンドンでは200m、400m、800mで銀メダルを獲得し、現役を引退。2018年に復帰、ジャパンパラ競技大会では200m優勝、400m、800mで2位。

<Markus Rehm(マルクス・レーム)> =写真左
1988年、ドイツ生まれ。バイエル所属。T64クラス。14歳の時、ウェイクボードの練習中にボートのスクリューに右足を巻き込まれ切断。2009年にパラ陸上にデビュー、初出場したロンドンパラリンピックでは7m35で金メダル、4x100mリレーで銅メダル。15年の世界選手権では8m40で世界新を樹立。16年のリオデジャネイロパラリンピックでは8m21で大会2連覇を達成。2018年7月、ジャパンパラ陸上競技大会では8m47で世界記録を更新、さらに一カ月後の8月にヨーロッパ選手権で8m48を跳びさらに記録を更新した。また義肢装具士 として、障がいのある人々をサポートする組織で活動を行っている。
(文・宮崎恵理、写真・竹内圭、吉村もと)
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