2017年3月23日 

アスリートインタビュー①

古澤拓也「今、進化の途中」

<ドキドキとか緊張とは違う。謎のたかぶり。4年前のくやしさを晴らす準備中>
 今年1月、古澤拓也のツイッターには、こんな言葉が書き記されていた。「4年前」の2013年、古澤は初めて日本代表のユニフォームに袖を通し、「U23世界選手権アジアオセアニアゾーン予選会」に臨んだ。日本は、イラン、オーストラリアに続いて3位に入り、同年6月に行なわれた世界選手権の出場権を獲得した。だが、イラン、オーストラリアとの実力差は明らかで、完全なる「3位」。優勝争いの一角に、日本は入ることができなかった。それは、古澤にとって初めて感じた「世界との距離」だった。そして何よりも、まったく強みを示すことができなかった自分が情けなかった。
「自分ではやってきたつもりでしたが、何も戦う準備ができていなかったということを痛感しました。
あれから4年――古澤は再び同じ舞台に臨んだ。「今度こそ」という思いが、「謎のたかぶり」となっていた。

【厳しい要求に示された「4年前」からの成長】

 奇しくも「4年前」と同じタイで行なわれた今年1月の「U23世界選手権アジアオセアニアゾーン予選会」。京谷和幸ヘッドコーチ(HC)の下、日本代表は予選リーグで強豪のイラン、オーストラリアをも破り、5戦全勝でトップ通過した。古澤は支柱的役割を担い、チームを牽引。特に「4年前」には歯が立たなかったイラン、オーストラリア戦でスリーポイントを重ね、チームに勢いをもたらした。京谷HCも「古澤が出だしでスリーを立て続けに入れたことが大きかった」と、古澤が成し遂げた仕事を称えた。

 日本は続く準決勝でタイを破り、今年6月にカナダ・トロントで開催される世界選手権の出場権を獲得した。惜しくも決勝ではイランに敗れ、優勝には届かなかったが、「4年前」とは違い、しっかりと優勝争いの一角に食い込んでの準優勝。古澤は、満足はしていないものの、やはり喜びを感じていた。

「優勝できなかったことは悔しいし、自分たちの課題もたくさん見つかりました。でも、銀メダルを取れたことは、素直に喜びたいと思います」
古澤はそう言って、笑顔を見せた。

しかし、大会に帯同していたA代表の及川晋平ヘッドコーチ(HC)からの言葉が、古澤やチームの意識を変えた。

「『優勝を目指していたチームが、一番大事な決勝で負けるということは絶対にしてはいけないこと。そこで負けた自分たちが、いかに勝負弱いかということを肝に銘じなければいけない』。及川さんにそう言われて、準優勝で喜んでしまっていた自分たちの甘さに気づきました」

京谷HCが掲げた「優勝して、アジアオセアニアチャンピオンとして、世界選手権に臨む」というチームの最終目標を達成できなかったことの重大さを、古澤は噛み締めていた。

だが、こうした言葉を投げかけられること自体が「4年前」にはなかったことだったに違いない。厳しさは、それだけ期待されている何よりの証である。その期待に応え、6月の世界選手権では「勝負強さ」を見せるつもりだ。

【先輩藤本から学んだ“キャプテン像"】

 そのU23日本代表チームで、古澤は自身初のキャプテンを務めている。初めは、何をどうしたらいいのかわからなかったが、今は少しずつ自分なりの「キャプテンシー」を持てるようになってきた。

「僕は気の利いた言葉を言ってあげられるようなタイプではありません。京谷さんからも、『プレーで示せ』と言われているので、コート上のプレーでチームを引っ張れるようなキャプテンでありたいなと思っています」

 古澤が思い描く「キャプテン像」は、リオデジャネイロパラリンピックで日本代表のキャプテンを務めた藤本怜央の姿にあるという。

「怜央さんを見ていて感じたのは、キャプテンというのは、どんな時も崩れない存在であるということなのかなと。プレーはもちろん、生活の面でも、怜央さんが崩れたのを見たことがないんです」

 古澤は今も時折、自らは出場することができなかったリオでの試合のビデオを観ることがある。「4年に一度の舞台」で世界に挑んだ日本は、グループリーグ予選でまさかの3連敗を喫し、2試合を残して早くも決勝トーナメント進出への道が閉ざされた。キャプテンであり、エースでもあった藤本が感じていたであろう責任の重さは計り知れない。

だが、古澤にはテレビ画面の向こうの藤本の様子に変化は感じられなかった。
「自らがやるべきことをやるだけ」
 画面に映し出された藤本の落ち着きはらった姿からは、そんな思いが見て取れた。キャプテンとなった今、そんな藤本の姿がたびたび思い起こされる。

 劣勢の場面でも、負けがこんでいる時でも、いつもと変わらないキャプテンの存在が、チームに安心感を与え、士気を高める――古澤は今、そんなキャプテンを目指している。

【負けを負けのまま終わらせない】

古澤には、今大切にしている「ルーティン」がある。その日の反省点や見つけた課題をノートに書くことだ。もともと練習後には行なっていたが、今では試合後にも必ずノートに書くようにしている。「ホテルに帰ってノートを書くまで試合は終わらない」というほど大切にしている作業だ。そのきっかけは、ちょうど1年前に経験したある「敗戦」にあった。

 2016年4月、古澤はU23日本代表として、ドバイで行なわれた国際大会に出場した。出場国の顔ぶれからすれば、日本は優勝しなければいけない大会だった。だが、予選では快勝したモロッコに決勝で敗れ、準優勝に終わった。

 試合後、古澤の心にあふれ出てきたのは、これまでに感じたことのない悔しさだった。いつもは割とすぐに気持ちを切り替えることのできる古澤だが、その時はいつまでも敗戦を引きずるほど、悔しさが募った。

 その時、ふと思い出されたのが、及川HCの言葉だった。
「いつだったか、晋平さんに『なぜ負けたのか、その理由をノートに書き出すことで、次のトレーニングがやりやすくなる』と言われたことがあったんです。それを思い出して、決勝でモロッコに負けたその日、ホテルでノートに書いてみたんです」

 自分たちにはいったい何が足りなかったのか、やるべきことは何だったのか……古澤は思いつく限りのことを文字に起こした。すると、さっきまで消すことのできなかった「悔しさ」は、いつの間にか次への「意欲」へと変わっていた。

「負けた時、悔しいと思うだけで終わらせては何もならない。敗戦から学んだことをその日のうちに整理することで、すぐに次のトレーニングへスムーズに移行することができて、それが次へのステップになる。あぁ、こういうことが大切なんだな、と晋平さんが言っていたことがようやくわかったような気がしました」

 及川HCがよく口にする「負けて勝つ」とは、こうした一つ一つの積み重ねなのだろう。

 その積み重ねの先に、古澤が思い描いているのは、2020年東京パラリンピックに向けて、日本代表というステージで自らの存在を確立することだ。そのために今、課題としていることは山積みで、なかなか克服できずにいる。しかし、それでも「進むべき道」が見えている今、そこに向かっていく、苦しくもあり楽しくもある過程に、何とも言えない充実感を覚えている。

「今、本当にバスケが楽しくて仕方ないんです」
 まっすぐな目でそう語る古澤。まさに今後、「目が離せない」プレーヤーだ。

<古澤拓也(ふるさわ・たくや)>
1996年5月8日、神奈川県横浜市生まれ。先天性の二分脊椎。合併症が原因で小学6年から車椅子生活となるまでは、野球に熱中していた。中学1年から車椅子バスケを始め、2013年、高校2年時にはU23日本代表として世界選手権に出場した。翌2014年、日本代表候補の合宿に初招集。2016年には初めて日本代表の強化指定選手に選ばれた。2017年1月、タイで行われた「U23世界選手権アジアオセアニアゾーン予選会」ではキャプテンとして出場し、銀メダル獲得に大きく貢献した。2020年東京パラリンピックに向けて、成長著しい若手の一人として大きな期待が寄せられている。神奈川大学2年。パラ神奈川に所属。

(文・斎藤寿子、写真・竹内圭)
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