2017年8月9日 

アスリートインタビュー②

三澤拓「フィジカル強化によるスキー進化論」

 パラアルペンスキーは、立って滑ることのできる立位、座って滑る(チェアスキーを使用する)座位、視覚障害の3カテゴリーで表彰される。そして、障害の状態や程度により、立位は11クラス、座位は5クラス、視覚障害は3クラスに細分化され、各クラスに応じた係数を実測値に乗じた計算タイムで競われる。
 立位カテゴリーは、クラス数も他のカテゴリーより格段に多く、それに伴い競い合う選手数も群を抜いている。オリンピックでお馴染みのヨーロッパ強豪国は、パラアルペンスキーにおいても圧倒的に強い。立位カテゴリーで入賞することや、表彰台に上がることは至難の技なのである。

 バンクーバーパラでは、スーパー複合(スーパー大回転と回転の2種目合計タイムで競われる)で6位、大回転で9位。着実に成長を続け、ソチでは得意とする回転でのメダルを狙っていた。ところが、その回転1本目、スタートからわずか5、6旗門で転倒し失格。失意のどん底に突き落とされたのだった。

 ソチパラリンピックから3シーズンが過ぎた。2015/16年のワールドカップ第5戦で回転2位、2016/17年には長野・白馬で開催されたワールドカップ第3戦のスーパー大回転で3位。着実に復活の兆しを見せている。三澤拓30歳。今、最も脂の乗り切ったアスリートである。

「ソチの時には、スタートハウスで力みまくってたんです。それが、自分の集中力だと思い込んでいた。スタート直後の急斜面で、何が何でも突っ込んで行くぞって滑ったら、アウト。今の自分だったら、冷静にしっかりリズムを作って攻めるというふうにできるけど、あの時の自分はいっぱいいっぱいでした。ソチでの屈辱があったからこそ、今がある」

 そんなふうに、自分を冷静に捉えるようになったことで、ここ2年の表彰台に結びついた。
「全ては、フィジカルトレーニングを見直し、取り組んできた成果だと思っています」

フィジカル強化がスキーの質を上げた

 三澤は2013年から、<R-body>でフィジカルトレーニングを受けるようになった。R-bodyは、モーグルの上村愛子など日本でも有数のトップスキーヤーが通うことでも有名なトレーニング&コンディショニング施設である。幼馴染が勤務していたことがきっかけで、通うことになった。現在は、1週間に6日トレーニングを行なっている。そのうちの4、5回は90分のパーソナルトレーニング。トレーニング前の90分間はしっかりウォーミングアップし、トレーニングを受けた後に90分間の有酸素運動を行う。空いた時間は自主トレやコンディショニング。また、週1日は完全休養と決めている。

「ここに通うようになって、一番大きく変化したのが切断した左足を右足とともにしっかりトレーニングするようになったこと」

大腿切断の三澤は、スキーをする時には義足を使用しない。右足1本のスキーで滑る。両手に持ったアウトリガーが、ストックと内足(ターン内側の足)の代わりを果たす。

「切断した左足を使う、という発想がそもそもありませんでした。時々、左足を意識してはどうか、とコーチなどから指摘されることもありましたが、右足1本で滑るのに必死で左足のことまで考えていられない、というのが正直なところだったんです」

 しかし、R-bodyに通うようになり、トレーナーとのコミュニケーションの中から“もっと左足を活用できるのではないか"という話になった。基本的には、残存部分に神経も筋肉組織もある。ここに、人間の機能として出力できるものがあるのではないか。

 三澤は、トレーニングの際、義足を外して雪上と同様、右足1本で全てを行う。
「例えば、片足でのスクワットの時に、切断した左足も右足に合わせて股関節から動かしていくんです。あらゆるトレーニングで左足を意識して動かす。ここでトレーニングを始める前は、せいぜい、前後にちょっと揺らすことができるくらいだった左足の可動域が、腸腰筋をしっかり使ってさまざまな角度、方向に動かすことができるようになったし、大臀筋と連動させて踏ん張るような力をつけることもできるようになりました」

 トレーニングを始めた頃、左足の脂肪が落ちて義足のソケットが緩く感じられるようになった。その後、大腿部の付け根周りに筋肉がつき次第にきつく感じるようになった。そろそろソケットを新調したいと思っているが、直接競技に関係しないため、後回しになっているのだと笑う。

 左足は、一つの象徴だ。実際に鍛え上げていたのは全身。その強化が、雪上でのパフォーマンスを確かに押し上げてきた。

「雪上でベストなバランスを保ち続けるには、高い筋力と関節の使い方が必要でした。トレーニングによってそれができるようになって、クラウチング姿勢の時に、単に右足だけで踏ん張っているのではなく、左足も含めた全身で踏ん張ることができる。ターンの時には、左足の内転筋を使って右足側に絞り込むように、コンパクトに沿わせて滑ることができる。ジャンプポイントでも右足と同様に左足を同調させるから、体全体で衝撃を受け止めバランスが取れるようになったんです」
 また、有酸素運動も含め体力そのものが向上したことで、高速系(滑降、スーパー大回転)の長距離でも姿勢が最後まで崩れなくなった。

「結局、フィジカルが上がらなければ、雪上でこう滑りたいという意思通りにスキーを動かすことはできない。自分の体が常にフレッシュな状態であれば、スキーのテクニックに集中できます。何より、バランスの悪い雪の中でしっかり踏ん張れるから、転倒しなくなった。そういうことが、この4年間で徐々に実現できるようになってきたんですね」

野麦峠はスキーヤーとしての原点

長野県に生まれた三澤は6歳の時、交通事故で左足大腿部を切断した。幼い頃から野球が好きで、投げて打つ活躍で地元チームの中心選手だった。
 スキーを始めたのは、小学2年。学校のスキー教室に友達と一緒に行けないのがつまらない、とこぼしたら、両親が長野県障害者スキー協会を探し出してくれた。
「その会長さんが、当時もう50代か60代くらいの方だったんだけど、片足1本でサーッと斜面を滑り降りてくる。子ども心に『うわあ、かっこいいな』と思いましたね」
 協会でアウトリガーを貸し出してくれ、滑る練習も見てくれ、そうして念願だったスキー教室にも行けるようになった。

 小学5年の時、スキー教室で出かけた野麦峠スキー場で、ジュニアレーシングチームのコーチらに出会う。
「これだけ滑ることができるんだったら、ジュニアチームに入ってアルペンレースをしてみないか」
 毎週末、母が運転する車で野麦峠に通っていたが、6年の時に野麦峠にあるペンション<若草物語>のオーナーと知り合い、シーズン中に居候をさせてもらうようになった。
「金曜の夜に母ちゃんに送ってもらって、日曜の夜に迎えにきてもらう。その間、食事の世話も、ゲレンデまでの送迎もおいちゃんとおばちゃんが全部してくれたんです」
 野麦峠のジュニアレーシングチームと、若草物語。この2つがなければ、アルペンスキーヤー三澤拓は誕生していない。
「スキーが本当に面白いことを知った。ここが原点なんですね」

会心の滑りでメダルをつかめ

 ちょうど1年前の9月、パラアルペンスキーナショナルチームは、初めて南米チリで高速系合宿を行った。
「これまでもヨーロッパなどで高速系のトレーニングをする機会はありました。でも、それに専念する合宿は初めてでした」
 1ターンが70m、80mもあるようなインターバルで、実際のレースと同じような長い距離を滑る。スピードレンジが格段に上がったと実感したという。
「少なくとも慌てなくなった。高速の中でしっかり体の使い方を意識できるようになりました」
 それが昨シーズンのスーパー大回転表彰台に結びついた。回転を得意としてきた三澤の滑りの幅が、大きく拡大したのである。

 三澤は、レース前のインスペクションに時間をかける。
「体が変わって、コースマネジメントも変化しましたよね。例えば難所の旗門、以前だったら、ここでコケるかも、という不安なチェックポイントだったのが、今は無理せずこういうラインで攻めよう、というポジティブな見方に変わった。自分の体を理解しているから、どこまで無理が利くか、あるいはどう回避するべきかという適正な判断ができるんです」

 だから、今はスタートハウスでの無用な力みはない。
「直前までしっかり自分の体を動かして準備する。スタートハウスに入ったら、深呼吸してリラックスする」
 そうしてスタートバーを切った後は、これまで培ってきた体をフル稼働させて旗門にアタックするだけだ。

「もちろん、スキーヤーとしては世界一を目指す。そこは基本的に変わらないです。でも、今の成長した自分の体で、納得する滑りがしたい。納得できる滑りが実現すれば、確実にメダルに結びついていくと思う」

 パラリンピックではまだ手にしていないメダル。4大会目の平昌パラリンピックで、三澤は、会心の滑りを実現して表彰台へと駆け上がっていくのだ。
<三澤拓(みさわ・ひらく)>
987年7月12日、長野県生まれ。SMBC日興証券所属。6歳で交通事故に遭い左足膝上を切断。8歳で片足のスキーをはじめ、小学5年からアルペンスキーを開始。15歳で日本障害者アルペンスキーチームに所属、世界を転戦するようになる。高校はニュージーランドのメスベンにあるマウントハット・カレッジにスキー留学。06年トリノパラリンピックに初出場、回転5位入賞、大回転10位。10年バンクーバー、14年ソチ大会に連続出場。08/09年世界選手権回転で3位。15/16年ワールドカップ回転で2位、16/17年スーパー大回転で3位。16/17年ワールドカップ総合6位は過去最高位。
(文・宮崎恵理、写真・岡川武和)
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